普通であることの幸せ
- tsuruta
- 2020年8月31日
- 読了時間: 3分
更新日:2020年9月13日
今日、安倍首相辞任についてアメリカの投資家と話しをした。
「日本は幸せですね」と米国投資家は言う。私が「えっ、どうしてですか?」と返すと、「病気で任期途中で辞められることは幸せですよ。」と言うのだ。
当たり前ではないかと思う。
「隣の韓国でも大統領が辞めれば大変です。今までの例から見て、処刑か監獄行きは間違いないでしょう。アメリカもトランプも辞めれば裁判が待っている。プーチンも大統領か首相でないと、その先どうなるかわかりません。中国も習氏が辞めれば、長老たちが今まで溜まったガスを爆発させるでしょう。何を言い出すかわからない。イスラエルのネタ二ヤフもそうですよ。辞めれば監獄行きでしょう。」
「そうですかねえ・・。」どうも、にわかに納得しにくい。
私は「民主国家であれば、病気で辞めれるというのは普通ではないのですかねえ。」と普通のことが通る国家を言う。「ドイツでも英国でも同じでしょう。メルケル氏もジョンソン氏も病気で辞めることはできるでしょう。」と続けた。
だが、米国投資家曰く「大統領ではないですから一見そう見えますが、英国の前の首相がどうなったか知っていますか。テリーザ・メイ氏も、やはり大変な目にあっている。ドイツも安穏と暮らせることは難しい。裁判が待っていますよ。だから、メルケルは首相の座にしがみつくのですよ。」
そして、言った。
「普通のことが普通に、世界では民主国家でも出来なくなっているのですよ。日本は幸せですよ。民主主義がまだ、生きている国ですよ。」
こういう会話であった。権力とは恐ろしいものである。国内での見方と全く違う。事実かどうか別ではあるが、面白い見方だ。日本は、あまりに「平和」なのだろう。普通のことが普通にできる国家に生まれたことに、感謝せねばならない。
見方を変えれば、企業もそうではないだろうか。普通のことが普通にできるということは案外、難しい。
企業に長い間いて、そういう場面に何度か遭遇した。例えば「増資」である。新たな事業構造に挑戦するために大きな投資が必要ということがある。だが、これがなかなか通らない。「株主総会」や頑固なOBからの反発が心配なのである。社長は自分の任期の間、何とか平穏に終わらせたい。そういう気持ちが先に立つ。年配であればあるほど、そういう思いが先に立つのだろう。色々理屈をつけて反対された。曰く「中期計画と実体経営ではわけが違う。」「他社もしていない。早急にやらねばならんことではないだろう。」
色々言うが、要は自分が社長の時期にはやりたくないのだ。よくある「先延ばし」である。それで済む「平時」と「有事」ではわけが違うのだが、自分が避けられる非難なら受けたくない。長い視点で考えれば、そうした批判は大したことではないことが多い。そう周りは思うが、本人にとってはそういうものではないらしい。70歳過ぎると難題に立ち向かうガッツがわかないのだ。人によるのだろうが、社長になるまでの道程で疲れて果てて大抵の大企業役員はヘトヘトなのである。そこから坂道を百段上る苦はしたくないのである。「少しはいい思いをさせてくれ」というのが、70歳以上の企業トップの本音ではないだろうか。
これでは「普通のことが普通にできない」のは当たり前。
組織改革、財務構造改革、流通改革。色々とある。今のWITHコロナの社会でDX化は不可避。大きな変革に対応できない大企業は生き残れない。しかし、大きな意思決定ができない本当の原因はその社長が持つ「保守性」にある。社外が主導する指名委員会で社長選任のプロセスを変えない限り、この流れは変わらないだろう。そういう意味でもガバナンス改革は極めて重要だ。
「普通のことを普通に」「当たり前のことを当たり前に」。これを着実にやらないと、企業はいつかは時代から取り残され、成長活力は失われていく。ある関西の電力会社のことを考えながら、そんなことを考えさせられた投資家との会話であった。
夏の日差しの中、滋賀の日吉神社で考えた。

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