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天才型と努力型

  • 執筆者の写真: tsuruta
    tsuruta
  • 2020年3月24日
  • 読了時間: 4分

更新日:2020年4月20日

天才型とか努力型と、世の中でよく聞かれる。


すぐにパッとできてしまうのが天才型。そして、コツコツ時間をかけて頑張るのが努力型というイメージでよく語られるが、本当だろうか?


努力型というのは、ここは「努力」だと思ってやっている。天才型は楽しいと思ってやっているから、努力とは自分では思っていない。だが、努力型よりも天才型のほうが、実は時間をかけて一つのことを詰めてやっているケースが多い。好きで続けられるということは、それだけで才能だろう。また、それは個人にとっても会社にとっても競争優位になる。つまり、ここでいう天才型の方が、ビジネスでは努力家よりも優位に立つことが多いというのは、そのほうが物事を長く、そして深く見つめているからだろう。


絵がうまい人は、往々にしてずっと楽しく続けられることが才能であることを知らない。生まれつきだと思いたいものだ。


私も絵は好きであっても、得意ではないと思っている。下手だからだ。だが、面白いことに

人に、たまに「センス」をどう磨くかと聞かれる。聞く人を間違っていると思いながら、むげに断れないので、仕方なく答える。


絵や立体であれば、「見る」ことであろう、と。そして音楽であれば「聴くこと」と、答える。本当にじっくり観察することだ。


この観察力が、全てだ。普通の人は、かなり思い込みがある。幼少の時に見た絵本の思い込みが残っている。偏った目で被写体を見ている人が多い。だが、デッサンをしてみればわかるが、現実は大きく異なる。仔細まで素直に見ることが、センスを磨くことになる。これは音楽でも同じであろう。長く音楽を聞けるということが、本当に重要だ。長い時間をかけることで発見が出てくる。テンポも強弱も高低も。これが、なかなか普通の努力型の人には、長時間はできない。しんどいのだ。だが、天才型は楽しいから勝手に長い時間、聞いていられる。また、好きな絵であれば、無意識に長時間、観察しているものだ。楽しいからだ。


この違いは大きい。好きこそものの上手なれ、は正しい。


だが、それだけでは十分ではない。


時々、世の中には「演じる人」と、「観察する人」がいると思うことがある。演じるほうが「天才型」が多く、見る側は「努力型」が多い、と論じられる。しかし、実際は、演じる才能もあれば、見るほうにも才能は要る。自分自身を振り返ると、どちらかというと「見る側」と思っている。これは先程の「才能」と異なり、生まれながらにしてどちらかが向いている、ということある気がする。つまり、タイプだ。性格もあるだろう。私は見ている方が楽しい。演じるほうは、無論、時にやらされるが、いつもしんどい。頑張りすぎたり、大人しすぎたり、加減が難しい。今まで、場数でこなしてきたが、いつまでたっても、私は慣れない。私は講演やプレゼンをするよりも、人の困りごとを聞き、真剣にソリューションを考えるほうが好きだ。しかし、両方の能力が必要だと思う。片方だけでは、やはり駄目だ。


経営もそうであろう。


じっくりと事業の側面を、あらゆる角度から「事実」だけを見る。そういう仔細を見ることが興味深く出来る人と、何も感じずただただ「演じるだけ」の人がいる。両方のタイプの経営者を長い間、見てきた。どちらが良いか。


結果だけを先に言うと、「見る人」だろう。


ただ感じ、演じるだけの人には時に「言語化」が抜ける。自分ができるから簡単と、周りもできるとたかを括る。ここで「言語化」が抜けると、組織がついていけない。バラバラになりがちだ。確かに、最初はカリスマ性で何とかなるが、そのうち周りは疲れてくる。そうして、組織としての動きが破綻する。一方、「見る人」の方はむしろ、慎重に物事を進める。行動力には多少問題があるかもしれないが、組織としての調和には支障はない。この方が組織としては長続きする。そういうものだ。


経営の「事実」とは数字であり、技術であり、デザインであろう。そして、それらの「統治」を考えること。それこそが、経営力を磨く力ではないのか。MBA取得のために覚えたことや教科書で覚えたことなど、何の役に立つだろう。自身を振り返っても、人脈以外にMBAで有用だったものは少ない。


大事なことは、自分の目で見て、触り、感じ、そして体得するしかない。そして、経営力が芸術などと違うところは、その「言語化」の必要性だろう。ここは確かに、「統治」を目的に言語や文章が有効に使われていなければ、組織をリードすることはできない。言葉なしには、経営はできない。


経営には、「天才型」や「努力型」などの匂いは必要ない。関係ないのだ。必要なことは事実だけを冷静に見る目と、明日を夢見て人に語り掛ける言語を持った人間の「情熱」だけではないだろうか。



                そんなことを考えながら飲んだ箱根のビールである。

                


 
 
 

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