何を見ているか
- tsuruta
- 2020年4月19日
- 読了時間: 8分
更新日:2020年9月13日
最近、近所の桜が概ね散った。「散る桜 残る桜も 散る桜 」(良寛和尚)という。散り際をきれいにしたいのは桜も人間も同じだろう。風に揺らぐ花びらは、まことに優雅。コロナをよそに、季節は確実に春から夏に向かっている。
さて、早速だが、前回の私のブログを読んで、あるIR担当者の方から、それでは貴方は「何」を見て投資しているのか、という質問のメールがあった。
無理もない質問である。投資家は企業の何を重要視しているのか、ということだろう。真摯な質問だ。出来る限り答えたい。
一概には言えない、というのが正直なところ。これは産業によっても、各社の事情によっても異なるからだ。それでは答えにならないだろうから、自分なりにお答えしてみる。もう老年に入った。できるだけ、お話したい。
まず、セルもバイも、ほとんどの参加者は「自分のモデル」を持っている。では「モデル」とは何か。一般的に言えば、会社の個々の数値(過去と未来予想)をベースに、算式を作り、投資対象の優劣を作っていくプロセス(数理計算)のことである。ここで銘柄の「優劣」を決めて行く。対象を絞っていく。ここまでは定量的なスクリーニング。つまり、投資をしてはならない銘柄をこのモデルで引いていくのだ。地雷を踏むことを避けるということだ。つまり、過去の経験から、ある程度は「してはならない」ことは見える。多くの失敗事例が「してはならない投資先」を示唆しており、それに素直に従う過程だ。高すぎるPERやPBRもそうだろうし、多くの経験値からあるゾーン以外を撥ねていく。従って、多くの経験やビッグデータを持つベテラン、または多くの資料を一気にプロセスできる大型コンピューターを持った投資家が得意と言われがちである。だが、最近はそうでもない。かなりのデータベースが「金」で買える時代になったからである。良い時代である。しかし、「経験」だけはどこからも買えない。ここでは、「経験」が大きくものをいう。
経験豊富な投資家がすぐれたモデルを構築出来るかもしれない。ただ、あくまでもこれはスクリーニングであって、投資の意思決定ではない。ここまでが数字の分析であって、面談を申し込む先はそれは用がない。ここからは「定性的な分析」だ。
ここからが勝負だろう。
このスクリーニングをする際、銘柄を見るときに、何をKPIにするか、アナリストや投資家によって、無論、異なる。この辺りは、最近の書籍を事例にとって言うと柳良平氏の「CFOポリシー」等に詳しいが、このくらいは常識の世界。IRパーソンには、大事だが、あまりに基本的な話であり時間がかかるので、話を少し省く。大事なことは、数字自体ではない。
スクリーニングを終えて次の段階で、「面談」に入る。定性的な話だ。そこで、企業のストーリーを確認しに行く。そのストーリーとは、簡単に言えば2つある。
一つは、どういうメカニズムでキャッシュを手にしているか。そして、その競争環境は、将来の成長性は、どうかなど、である。結局、成長の有望性での視点である。トップラインの伸びの話である。成長がなければ、何も始まらないからである。ここはIPOした企業やマザーズ銘柄等でよく見ている。
もう一つは「資産の持ち方」である。資産の持ち方をどう考え、どうキャッシュを生み出していこうとしているのか、である。ここは企業の資料から読み取れるものもあるが、見えないこともある。例えば、私がいた電器会社は、数字からだけではキャッシュの創出方法は一般化できない。事業によって分解していくことが必要だが、その手助けをIRにしてもらうということである。
結局、売上成長性とROA改善率を見ているのである。基本は、どこも同じである。ここで見ているのは絶対数値ではなく、傾向数値だ。企業の大小にあわせ、スピードも見ているのだ。ただ、見方は、無論、産業によって、そこの経営者によっても異なるものなのだ。一般化などできるものではない。
ただ、一番、重要視することは何かというと、数字ではない。長期的な視野で投資するディープバリューの投資家は一致しているように思う。それは「経営の質」だ。経営者であり、経営チームのレベルを見ている。これが先程の成長ストーリーの実効性を担保していくからだ。いくら立派なモデルや数字であっても、その戦略の「実行力」や「持続性」がないと意味がない。ここが一番の肝であろう。
逆の見方をする。企業側からすれば、「お天道様は見ている」と思えばいいのだ。
正しいと思ってやっていることを、堂々と胸を張って伝えればいいのだ。簡単と言えば、こんな簡単なことはない。しかし、世の中では企業は「外向け」に言っていることと、「内」でやっていることが違うこともある。また、外に言っているほど、実際はうまく行っていないこともある、いや、むしろ、それが普通かも知れない。自分の経験からもそう思う。そういうことを、多面的に見ていくのが投資家の仕事であろう。苦しい言い訳なのか、それとも自信がある謙虚さなのか、ストーリーは同じでも、その信頼性は会ってみないとわからないものだ。そこを投資家は見る。いわば、企業の誠実さを真剣に見ているのだ。
ここで、優秀なIR担当者は、自分の会社の株価の位置が、公正価格よりも高いか低いかを知っている。それによって、IRストーリーのトーンが違うのだ。優秀な方は、そこを微妙に調整している。ただ、ここまで意識の高いIR担当にめったに会うことはない。むしろ、与えられた面談をベルトコンベアのように淡々とこなしている人が多い。やむを得まい。こういうところには、長期視点の投資家は寄ってはこないものだ。謝意を述べて、静かに立ち去るだけである。
ここは投資家とは阿吽の呼吸がある。
酸いも甘いも噛分けたベテランが、相手の目を見て真剣勝負でそういうことも含めて、問うていく。これがIRの面談であろう。自分自身もIR責任者として数十年やってきて、そう思う。企業側は自社の株価のポジションを意識しながら、十分な準備を整えて、投資家に真剣に対峙してやっていくしか方法はない。
事実とは残酷なものだ。時にIRは、会社経営側と資本投資家サイドの間で、桜の花びらのように揺れることもある。会社側はこう見せたい、しかし、現実は違う。それはどうしようもない。IRの真価が問われる。方法論などは何もない。単に、事実を正直に言う「覚悟」だけが必要だ。それは資本サイドに対してだけではなく、経営サイドに対してもである。実際、難しいのは後者だ。ここを説得力をもって、どう伝えるかが重要である。例えば、資本サイドがこう見ている。その意見のうち、これは妥当なので、こうしたらどうだろうと経営側に言えるかである。言えない人もあるだろう。いや、言えない立場といっても良い。また、言っても聞いてくれないという人もいるだろう。しかし、それは言い訳にはならない。
資本サイドは、そんなに甘くはない。簡単に投資対象から切っていくだけだ。他に選択肢はあるからだ。IRの方々には頑張ってほしいものだ。資本サイドの言い分に納得すれば、幹部にきっちりと上申してほしいものだ。そういう姿勢を投資家は見ている。
資本を軽く見ると、バッタのようなデイトレイダーの大群やハイエナのようなアクティビストが揉み手をしてやってくる。そうして、健全な投資家は近づかなくなり、売買が少ない銘柄となる。株価が上にも下にも大きくオーバーシュートするようになり、市場からは完全に見放される。一挙にはそうならない。しかし、徐々にそういう銘柄なりつつある会社は、日本にはたくさんある。ただ、彼らは自分たち自身が、そういう状況を作ったことを意識していない。ただ、IR担当者というサラリーマン稼業をしているだけだ。右から左にスケジュールをこなしているだけだ。
そのIRの「胆力」を投資家は見ているのである。
花びらのような弱々しいIRでは困るのである。雨にぬれても、しっかり咲いている必要がある。桜に例えれば、IRは花弁ではなく、桜の幹のようなものであって欲しい。経営の軸をしっかりと支え、また来年も花を咲かせることが出来る木の幹のようなIRであって欲しい。そういうIR担当者の気構えを望みたい。そういう企業のIRを応援したいものだ。
今年も桜は見事に、散ってしまった。家にいて、最近、桜をよく見るようになった。散った後から青葉が萌えてくる。夏が近いのだろう。桜に新型コロナは関係ない。秋から冬にかけて、根を地中深くずんずんと伸ばしてくるのだろう。そういう木は、また来年、大きな花を咲かせる。
さて、投資家が何を見ているか?
例えて言えば、蕾を見ただけで花が咲く様を期待するのは「個人投資家」であろう。満開を見て、散りゆく様を期待しているのは「ヘッジの売り手」であろう。年金などをベースにした「長期視点のファンド」が見ているのは、花でも散りゆく花弁でもない。「木」全体である。今年よりも多くの花をこれからも咲かせる「木」かどうかを見ている。虫に食われていないか、病気になっていないか、雪降る冬を越せるかどうか。そして、その樹齢とそれに見合った「幹」と「根の張り方」を、じっくりと見ている。
相手をする投資家にもよるが、あまり足元だけの数字に気を取られることはない。むしろ、大きな経営の流れを、投資家に分かりやすく話ができるようにしておくべきであろう。
日本のIRのレベルが高い標準になって欲しいものだ。経営者の顔色を見ながらNYやロンドンのホテルで、冷や汗をかいて右往左往するIR担当者を多く見てきた。本当のIRの仕事とは何なのか見直して欲しいものだ。成長した日本のIRを、投資家としていつか見てみたいものである。
NYやロンドンをSONYの盛田昭夫さんがIRで闊歩した時代から既に50年が経つ。そして、今、日本のIRが成長したのか後退したのか。私には米国や欧州のIRと比較して、日本のそれが良いとは思えない。
数は少なかったが先進の企業の颯爽としたIRの時代から、大衆化したが愛想笑いの多い時代になった。それは語学力や説明力の問題もあるが、日本の成長産業の勢いを投影しているのだろう。
第二の盛田氏の登場を期待しよう。40代や50代の颯爽とした経営者やIR責任者を期待したい。そんなことを思うこの頃である。
さて、来年はコロナが収束し、近所に花見に皆で行けるであろうか?花も幹も見たいものである。
近所の桜を見て、そんなことを考えた。

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