コロナ禍の不正リスクと今後の混沌
- tsuruta
- 2020年10月2日
- 読了時間: 4分
更新日:2020年10月17日
今年の心配はしない。もう分ってきている。
それよりも来年であり、思いもつかないことで、ひとは躓く。
協会やACFEの監査関係者との話からだが、色々海外で妙な事案が起きつつあるらしい。海外子会社の不正案件だ。やっぱりか、という印象だ。
ライフワークとして、業務や経理監査や監査役などの経験を通じて、不正予防や不正監査は専門にしている。コロナの影響で、現状は国内・海外ともに監査や不正予防に関わる方々が限定的な活動しかできない環境の中で、もがいている。ACFEのメンバーもそういう環境の中で懸命に自分の立ち位置を探している。
国内でも監査部門の監査訪問先件数が昨年と比べて6割に減少しているらしい。まともに現場が見れていないのだ。書面監査は善意を前提としているが、監査の趣旨からいっても実質的な確認は難しい。海外でも、やっと中国や豪州の監査が始まる環境になりつつあるという程度であり、国内よりも監査環境は良くない。監査活動は、実質的にはほぼ全面停止状態なのだろう。私のクライアントも所与の環境のなかで、やれることはそれぞれの会社で異なり、皆さん与えられた責任範囲のなかで頑張っている。ただ、コロナ禍のなかでいろいろな制限や限界はあるだろう。隠れた不正案件は、数えきれないくらい来年に顕在化する。杞憂で終われば良いが、難しい。そういうものであるからだ。
そういう中であればこそ、関係者の皆さんはそれぞれの立場で「何が出来、何が出来ていないのか」を冷静に見つめることが大切だ。そして、来年この状態が戻ったときに、何から着手すべきなのか、今から優先順位を整理しておくことだ。用意周到なところは、来期にスタートダッシュが出来るだろう。また、そういう会社には、不祥事は少ないものだ。
また、今期中の問題もある。期末に向けては監査レポートや監査役の監査報告書で責任が持てるところと持てないところを明確にしておくべきだ。法律の枠組みでも、想定していない環境のなかだ。これまでなら当然のことを、責任者がやっていなくとも役員は「任務懈怠」や「忠実義務違反」とは言い難い面もある。子会社で、経営を揺るがすような不正が起きていたとしても、それは監査法人や担当役員の監査・監督責任と言えるのか。監査役に対してもそうである。ぎりぎりのことを考えておくべきである。その上で、それぞれの監査関係者の責任として課題を淡々とこなすべきなのでしょう。
そうはいっても経営者は「結果責任」なので、甘んじてすべての責任を受け入れんばければならない。それでも、どこまで法律で責任を問えるのかは疑問だ。これは道義的にも同じであろう。こういう時は、あまり自身だけの仕事や担当に固執しないで、会社組織での責任の優先順位やそれぞれの部署の責任範囲を鳥瞰的に整理しておく方がよい。
結局はその会社が長く育んできた「企業風土」によって、不正事件が生まれるか否かが決まる気がする。こういう環境下では、細かいところまで経営者は見れない。多くの経営者がこの環境下では「コソ泥系の不正」はある程度やむなし、とし優先順位を付けて事業をしなければ前に進まないということである。確かに、不正を絡め取る「網の目」を、相当粗くしておかなければ現実的ではない。この網の目は社員一人一人の「自覚の問題」となる。「倫理の問題」となる。行きつくところ、結局は「企業風土」であり、企業の持っている「性格」の話になる。普段の心がけの話である。
そういうことを考えながら、東京証券取引所で起こったコンピューター故障での1日中の取引全面停止を見ていた。これも結局は「隙」からである。普段から準備していれば、テストを徹底的にしていれば、半日ですむ話であろう。一日中の全面停止など起こるはずもない。
こういう予期せぬことが、色々なところで起こる気がする。それは多くの人の心の中に「コロナ禍であるから仕方がない」という気分が生まれているからだ。大きな被害が出なければ良いが、と思う。
世界を見れば、米国大統領でさえコロナになる時代だ。選挙が負けて終わってもホワイトハウスからは容易に出て行かないと予想される大統領である。11月3日から12月の中旬までは何でもありだろう。不測の事態に気を付けなければならない。政治の問題だけで終われば良いが、リスクオンによる市場低迷による経済混乱が心配だ。
平泉の毛越寺で新渡戸稲造が訳した松尾芭蕉の俳句「夏草や兵どもが夢のあと」の石碑(「The summer grass, 'Tis all that's left, Of ancient warriors' dreams」)を見た。これから起こりうる混沌を考えた。しかし、結論は同じだ。9世紀前と同じように「時間」が来れば、どんな混乱であれ終わるという事実だ。それでも、大きな混乱に向けて「心」のシートベルトはしておくべきだろう。ただ、どういうことであれ、時間がたてば終わる。
さて、後にあるのは、夏草なのか、金色堂なのか。
結局は、単純な原理原則で終わる気がする。強いだけではなく、大多数が望むリーダーが舵を取ると。だからといって大多数が幸せになるわけではないが・・・・。民主主義とは所詮そういうものだ。期待すべきではない。憤慨してもしょうがない。さてさて・・・・・。

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